社交ダンスの醍醐味は、「寄り添う」事ではないか。
寄り添い方は違えど、アルゼンチンタンゴにも同じ事が言える。
どの様にして寄り添うか。
お互いに自分の体重という負担をかけ合うのだ。
負担のかけ過ぎは良くないが、負担の無いのもまた良くない。
シャドーが楽だと言うけれど、本当にそうか、
もし本当なら人はなんで組んで踊りたがる?
好んでかけた体重、かけられる体重に、
やれ重いだの軽いだの言い合うのがダンサーの宿命か?
負担とは、負けを担うと書く。
相手に勝とうとする所からは、存在し得ない世界が「負担」の世界だ。
負けを担って、お互いを生かす。
そんな境地になりたいものだ。
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